不倫の恋の相談

大学時代からの長ーい親友から、6キロも体重が減るほどの悩みがあると呼び出された。

内容の見当をつけて出向くと――私の第一想像通り!!道ならぬ恋の相談であった。(最近なぜかこのパターンが多い!?)

彼女にはこれといって不満のない家庭がある。だけど職場でトキメク恋の相手ができてしまった。この恋をどうしたらいいか?というものだ。
「これは不倫であって、あの世で血の池ジゴクに落ちるくらいの大罪でしょう?」
「ダンナを裏切ってはいけない気がするー」と彼女。
「でも国によってはOKで、時代によってもOKなことだったりもするで?」とわたし。

お酒の席だったのもあって、ウダウダいろんな戯言をしゃべったが、肝心のことを言いそびれたのでここで言おうと思う。

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どっちの道が正解か、とゆーのは、要するに彼女しだい。

彼女が一生涯かけて運営する、彼女なりのオリジナルな人生の責任をちゃんと引き受ける覚悟を持ってるのであれば、どの道を選んだとしても、私は彼女の選択を支持するつもりだ。
人は最低限自分の人生だけは、自分の思うようにしてよい権利もある。

困ったことには、どうやら彼女自身が「どうしたいのか」自分でわからないでいること。

やれ世間的にどうか、人からどう見られるとか、でも意外に母は少しくらい遊んでいいと言っているとか、、、その中に、自分はどうしたいかが出てこないことに気付いた。

これは長年おりこうさんに誰かの言いつけを守ってさえいれば良しとして自分の意見を持たずに来た弊害なのかもしれない。
もちろん一生おりこうさんで幸せに生きられるのならそれもOK。がしかし、どっかで抑圧された本質の自分が堰を切ってバクハツするようであれば、、、ちょっと軌道修正を考えていただきたい。心の健康のために。

いかに本質の自分を殺さないよう、可能なうまいやり方で外に出してやるか。

その手綱さばき具合いが人格であり、そこが人生の工夫のしどころなのかもしれない。。。

 

※不倫の是非について、どうこう言った意見ではございません(‘◇’)ゞ 
 私は法律屋でも宗教家でもないので、メンタル屋としてバランスを取る意味での発言です。
 念のため!(#^.^#)

 


人のマイナス感情ばかり聞いてしんどくないか?

「カウンセラーって、人のマイナスな悩み事ばかり聞いていてしんどくないですか?」

ということをよく聞かれます。

それが、ぜんぜんそうでもないんですよ!
むしろ新しいクライエントさんが来られる日など、ワクワク楽しみに待っているんですよね。
今度はどんなこんがらがった問題を持ってこられるのかなーと。

基本、人間その気になれば治せない心=思考はない、と思ってるんです。
まあ、先天的な脳の特殊性は別としてね。

自分もかなり”底のソコ”から浮上したもので、、、
それに比べるとほとんどの方は「軽いな、いけるな」って感覚があって、どうにもならない病だと考えてないから、重くないんでしょうね。

真剣勝負してるんですけどね、感性をフル動員して。なので疲れるけれど、難解なパズルに挑むかんじ。マイナスな重いものをもらっちゃう、という感覚はないのです。


未婚の母を決めた時~選択と決断

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人生の決断において、人は迷う。

私にとっての初めての、本当の意味の大きな決断は、28歳の時。 人気雑誌「HanakoWEST」の編集者としてノリにノッテいる時にマサカ!でできた子供。これをどうするか。。

結婚するつもりのない、恋の終わった相手との子供が、あろうことかできてしまったのだ。

当然、めっちゃ困った! なんとゆーヒニクなんだ! 99%目が覚めて何もなかったことになっていてほしいと望んだ。
生まれて初めてゲロ吐くほど悩み、考え、自分に向き合い、、少しでも早く早く3か月内に「正しい答え」を出さねばと追い詰められた。

しかしその選択はあまりにも重く、いちど決めたら人生20年の責任がついてくる。
自分の憧れの人生プラン、甘い結婚生活、優雅な妻の座や親孝行、幼少期からのすべての甘い夢をただちに手放さなくてはならないのだから!

その99%がひっくり返った要因は、いくつかあったが (編集部の上司はじめみんなが先に強力バックアップ態勢をしいた、選んだ産婦人科医が堕胎を嫌う方針だった、手術することにビビッた、水子の霊が怖かったetc..) 今にして思えば、 私の気質・性格、生き方からして、もはやその問題が上がった時点で、やってみる=GOの答えしかなかったのだと思う。

産まなかった場合、私は一生 ”やらなかった後悔” にさいなまれる。

「あの子を産んでいれば今頃いくつだろうか」「もしかしたらいい子ではないか」 「それなりに充実した何かを得ているのではないか」。。。

そんな切ない悔しい思いをするくらいなら、私の場合、無謀でも、失敗しても、もうやってみるしかない。 その方が身のためなのだ。
もっと言えば、勇気がなかった自分を、この先の人生で嫌ってしまうことが必須だからだ。 私はすごーくそこにキビシイ特性があり、ごまかしてもごまかしても自分が自分を認めないだろうことをわかっているからだ。

 

私の半分は、私の「やり方」でできている。

Aのやり方でいくか、Bのやり方でいくかは選択できて、

世間的に、常識的に、正しいのはどっちだろう?とか、賢いのは?得なのは?とかで選択しようとする人もいれば、、 たとえ9割の人が「そりゃーAが正しいでしょう」と言っても、 「いいえ、でも私はBでなければだめなんです」と選び取ることもできる。

私はそんな時、「どっちの自分を自分は好きでいられるだろうか」で決めることにしている。

ケッカ、たとえ苦労ですったもんだしていても、そんな選択・決断を切った自分に自分がホレボレ満足していれば、人生はおおむね幸せなんだと思う。


非日常のメリット

夏休み。8月17日まで、10日以上の長いお休みを取り菅平高原のロッジでクーラーのいらない避暑をしてきました。 クライエントの皆さんにはご不便おかけしてごめんなさい(>_<) ですが、思い切って行ってよかったと思っています。 非日常の環境にバッと移すというのは、停滞していた物事に突破口を見つけられるいい方法なんですね。 つまりいつも同じルーティンにある生活では、知らず知らずに視野や発想が偏っているわけです。また人間関係も狭~い枠の中で抑圧されがちなところを、メンタル的に開放されたり、まるで違う自分を味わうことになるわけで、、ピーンと新たなアイデアがもたらされることになります。 クライエントさんの中には、旅行を兼ねて長野の菅平まで来てくださった方もいて、、 思わぬ場所で思わぬ出張カウンセリング?となりました。 お互いに、、高原の白樺の下の木のベンチで話をして、、いい思い出になりました。 皆さんもみずみずしい体験を! まだ八月、大阪は暑いけどがんばります。。