未婚の母を決めた時~選択と決断

yjimage分かれ道

人生の決断において、人は迷う。

私にとっての初めての、本当の意味の大きな決断は、28歳の時。 人気雑誌「HanakoWEST」の編集者としてノリにノッテいる時にマサカ!でできた子供。これをどうするか。。

結婚するつもりのない、恋の終わった相手との子供が、あろうことかできてしまったのだ。

当然、めっちゃ困った! なんとゆーヒニクなんだ! 99%目が覚めて何もなかったことになっていてほしいと望んだ。
生まれて初めてゲロ吐くほど悩み、考え、自分に向き合い、、少しでも早く早く3か月内に「正しい答え」を出さねばと追い詰められた。

しかしその選択はあまりにも重く、いちど決めたら人生20年の責任がついてくる。
自分の憧れの人生プラン、甘い結婚生活、優雅な妻の座や親孝行、幼少期からのすべての甘い夢をただちに手放さなくてはならないのだから!

その99%がひっくり返った要因は、いくつかあったが (編集部の上司はじめみんなが先に強力バックアップ態勢をしいた、選んだ産婦人科医が堕胎を嫌う方針だった、手術することにビビッた、水子の霊が怖かったetc..) 今にして思えば、 私の気質・性格、生き方からして、もはやその問題が上がった時点で、やってみる=GOの答えしかなかったのだと思う。

産まなかった場合、私は一生 ”やらなかった後悔” にさいなまれる。

「あの子を産んでいれば今頃いくつだろうか」「もしかしたらいい子ではないか」 「それなりに充実した何かを得ているのではないか」。。。

そんな切ない悔しい思いをするくらいなら、私の場合、無謀でも、失敗しても、もうやってみるしかない。 その方が身のためなのだ。
もっと言えば、勇気がなかった自分を、この先の人生で嫌ってしまうことが必須だからだ。 私はすごーくそこにキビシイ特性があり、ごまかしてもごまかしても自分が自分を認めないだろうことをわかっているからだ。

 

私の半分は、私の「やり方」でできている。

Aのやり方でいくか、Bのやり方でいくかは選択できて、

世間的に、常識的に、正しいのはどっちだろう?とか、賢いのは?得なのは?とかで選択しようとする人もいれば、、 たとえ9割の人が「そりゃーAが正しいでしょう」と言っても、 「いいえ、でも私はBでなければだめなんです」と選び取ることもできる。

私はそんな時、「どっちの自分を自分は好きでいられるだろうか」で決めることにしている。

ケッカ、たとえ苦労ですったもんだしていても、そんな選択・決断を切った自分に自分がホレボレ満足していれば、人生はおおむね幸せなんだと思う。