コロナを扱う医療従事者の方へ

 

昨年末ごろから、医師や看護士などの医療従事者の方が来られることが増えました。

コロナに間近で立ち向かっていただき、まずは尊い使命感に感謝します。

 

コロナ病棟で働く方々(そして民間の内科の方々も)、、

毎日感染の緊張感のもと、厳重な防護服にマスクで、それだけでも消耗する。

その上に「先の見えないやるせなさ」が湧いてきて、疲労もピークであると思います。

 

なんとか封じこめようとこれだけ頑張っているのに、患者数が減らない!!

いったい終わりはいつ来るのか!

緊張や不安がイライラや怒りに変わり、持って行き場がない。

 

さて、そこで自分を守るためにどういう対処ができるか? 考えを整理してもらいたいのです。

 

「変えられるもの」と「変えられないもの」を分ける!

 

「変えられないもの」は、まさにコロナの行方です。

「変えられるもの」は、それをどう受け取りアクションするかの自分の考えです。

 

どの職業にも「職業性格」というものがあって、長年身を尽くしてその職に当たっていると

特有のクセみたいなもんが染みつく。

医師や看護士の場合は、私が感じるに、、、とてもリアリストだということ

そりゃーそうですよね、薬の効果とデータ。症状と作業手順。

絶対間違えたり忘れてはいけない超シビアな世界、目の前のリアルがすべてなクセがつくのです。

 

でも本来はもう少し柔軟にしなやかであっていい。

困難な問題を越える時、ゆるみや想像力、カンみたいなものが必要なのです。

仕事以外はですよ。そこをパリッと切り替える。

リアル(目の前の現実)にべったりは、リアルに振り回されすぎてしまうということ。

できるだけ現実に起こっていることのリアルから距離をとった視点が必要。

 

宇宙から見下ろすくらいの高さ、そして人が生まれてから死ぬ時までくらいの幅。

そういう視点で見た時、あーこれも生きてるがゆえのすったもんだ劇場だなーと思えてくる。

山あり谷あり、いろんなことを経験し、この自分であることを味わい尽くす人生ゲームなのだなーと。

(名医と言われるような方はどこかこのようではないでしょうか?悟っている感じ)

そうやってゆるんだ思考のすき間に、本来の自分のナイスな声が浮かぶのです。

 

さらに、コロナという得体のしれない「変えられないもの」を

もしやもしや封じ込めようと、コントロールしようとお考えなのであれば

そこは消耗するだけなので考えを変えていただいても良いのかと。

 

私は自分のカウンセリングのクライエントさんがうまく改善せず

自分の力不足にとても思い悩むとき、ある尊敬するカウンセラーの言葉を反芻するのです。

「自分の力で治そうと考えるのなど、おこがましい!」

本人の力が治すのだ。私たちはそのほんのサポートにすぎない。

以来私は落ち込むたびに、「おまえは万能の神か!」と自分の思い上がりをいさめるのです。

 

そうなるべくして物事は起こっている。

そうなるべくして人は困難にあい、必要なことを悟るようにできている。

そしてそのすべてが経験というお楽しみアトラクションだったりするのだ、宇宙から見れば。

 

ま、こんな風にね、現実を見られる視点も片方で備えていただきたいのです。

すべてのピンチな人たちも同様に!(#^.^#)